支援があっても、生活が整わない家庭に共通していたこと

21歳の利用者の話です。

高校3年生で統合失調症を発症しました。
一般就労も経験しています。ですが、いじめを理由に2度退職。

家族は、母親と大学生の弟。

母はパートで働き、
弟は大学とアルバイトで時間的な余裕はありません。

家族は心配していました。
本当に心配していました。

声もかけていました。
支援機関もつながりました。
年金も受給していました。

それでも生活は整いませんでした。

支援はあった

  • 事業所利用
  • 障害年金
  • 相談支援事業所の導入
  • 家族の見守り

制度も、人も、ありました。

ですが、

通所は安定せず、
年金は散財し、
金欠を繰り返し、
「一人暮らしをしたい」と現実味のない話をし、
やがて家出。

住む場所を失い、
相談が入り、
そして最終的には自宅に戻る。

外から見ると

「本人の問題」に見えるかもしれません。

ですが私は違う視点で見ています。

問題は“病気”ではない

病気があることは事実です。

けれど、
病気がある人すべてが同じ経過を辿るわけではありません。

では何が違うのか。

それは

生活の設計があったかどうかです。

自由と責任の設計がなかった

年金はありました。

でも

  • いくらを生活費に回すのか
  • 誰が管理するのか
  • 一人暮らしの条件は何か
  • どの段階でGOを出すのか

その設計がありませんでした。

本人は「自由」を望みました。

家族は「心配」を抱えました。

支援機関は「見守り」をしました。

しかし

誰も“設計”をしていなかった。

整えるとは、管理することではない

ここで誤解が生まれやすいのですが、

設計とは、縛ることではありません。

設計とは、

  • どこまでが自由か
  • どこからが責任か
  • 何が現実的か
  • 何がまだ早いか

それを明確にすることです。

設計がなければ、

善意も制度も機能しません。

家族が疲弊する前に

この家庭は

「もうどうしていいかわからない」

という地点まで行きました。

これは珍しい話ではありません。

精神疾患に限らず、

発達障害でも、
知的障害でも、
若年の引きこもりでも、

同じ構造が見られます。

支援はある。

でも設計がない。

だから崩れる。

壊れてから整えるのは、難しい

一度家出をし、
信頼が揺らぎ、
お金がなくなり、
関係がこじれる。

そこから立て直すのは、
正直、簡単ではありません。

だから私は

壊れてからではなく、
壊れる前の設計を重視しています。

「生活設計」は、病気の有無に関係ない

これは障害の話ではありません。

若年層でも、
高齢者でも、
夫婦でも、
親子でも、

設計がないと崩れます。

そして崩れたとき、
周囲は疲弊します。

では、何を設計するのか

・お金
・役割
・住まい
・判断基準
・家族の限界点

これを曖昧にしないこと。

それが最初の一歩です。

ここまで読んで

「うちも似ている」

と感じた方がいるかもしれません。

問題が起きてから相談するのではなく、
起きる前に全体を点検する。

それが私の考える
“生活設計の健康診断”です。

制度の説明だけではありません。
家計表を作るだけでもありません。

暮らし全体を、設計として見る。

それを行っています。

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