病気になっても仕事は辞められない。「治療と仕事の両立」をお金から考える

生活が崩れ始めるサイン

病気になったら、まず治療する。

身体を休めて、元気になってから仕事に戻る。

それが理想なのかもしれません。

しかし、現実にはそう簡単ではありません。

住宅ローンがある。

家賃を払わなければならない。

子どもの教育費がかかる。

毎月の生活費も必要です。

病気になったからといって、支払いは待ってくれません。

むしろ病気になると、医療費や通院費など、これまでになかった支出が増えることがあります。

その一方で、仕事を休む。

残業ができなくなる。

時短勤務に変わる。

以前と同じ仕事ができなくなる。

場合によっては退職する。

つまり病気になると、

お金が必要になるのに、同時に稼ぐ力が弱くなることがある。

私は、治療と仕事の両立を考えるなら、ここから目をそらしてはいけないと思っています。

そしてもう一つ。

作業療法士として医療現場で働き、現在は就労継続支援B型事業所を運営する中で感じるのは、

「身体的には働ける」と「もう一度働く一歩を踏み出せる」は、必ずしも同じではない

ということです。

治療と仕事の両立は、単に病気を治して元の職場に戻れば終わりではありません。

病気を経験した後の身体と心、仕事、収入、そして生活そのものを、もう一度組み直していく問題なのです。

「治療と仕事を両立しましょう」と言うのは簡単です

近年、「治療と仕事の両立支援」という言葉を目にする機会が増えました。

がん、脳卒中、心疾患、糖尿病、難病、精神疾患。

かつては長期入院が必要だった病気でも、医療の進歩によって、通院しながら治療を続ける人が増えています。

そして2026年4月からは、治療と就業の両立を促進するために必要な措置を講じることが、事業主の努力義務となりました。

病気になったら仕事を辞めるのではなく、必要な治療を受けながら働き続けられる社会をつくる。

その方向性自体には、大きな意味があります。

しかし、

「会社に相談しましょう」

「柔軟な働き方を利用しましょう」

「職場の理解が大切です」

という言葉だけでは、生活は守れません。

本人が本当に知りたいのは、

私はあと何日休めるのか。

給料はいくら減るのか。

この治療が半年続いたら、住宅ローンを払い続けられるのか。

元の仕事に戻れなかったら、その後どうやって生活していくのか。

ということではないでしょうか。

治療と仕事の両立は、医療の問題であり、働き方の問題であり、同時に家計の問題でもあります。

「働ける」と「以前と同じように稼げる」は違います

私は作業療法士として医療現場で働いてきました。

そこで感じてきたのは、身体が回復することと、以前と同じ仕事ができるようになることは、必ずしも同じではないということです。

例えば、脳卒中を発症した人が歩けるようになった。

着替えもできる。

食事もできる。

一人で日常生活を送れるようになった。

医療的には、大きな回復です。

しかし、その人が建設現場で働いていたらどうでしょうか。

高所作業がある。

重い物を運ぶ。

両手を使う。

素早い判断が必要になる。

片麻痺やバランス能力の低下、高次脳機能障害などが残れば、日常生活は自立していても、以前と全く同じ仕事に戻ることが難しい場合があります。

がん治療でも同じです。

職場には戻れた。

しかし、定期的な通院が必要になる。

疲労が残る。

以前のような残業はできない。

出張を減らさなければならない。

精神疾患でも、復職したからといって、すぐに以前と同じ負荷で働けるとは限りません。

復職できた。だから元通り。

現実は、それほど単純ではありません。

そしてFPとして見るなら、その違いは収入にも影響します。

仕事には戻れた。

でも残業ができない。

夜勤ができない。

以前の職種には戻れず、別の業務に変わった。

勤務時間を減らした。

働いているという事実だけを見れば「復職」です。

しかし、その後の家計まで以前と同じとは限らないのです。

月5万円の収入減は、5年間で300万円になる

例えば、病気になる前の手取りが月25万円だったとします。

治療後、働き方を変えて月20万円になった。

毎月の差は5万円です。

1年間で60万円。

5年間なら300万円。

10年間続けば600万円です。

しかも、これは単純な手取り収入だけの話です。

賞与が減ることもあります。

昇進や昇給に影響する可能性もあります。

退職金が変わるかもしれません。

働き方や社会保険への加入状況によっては、将来の年金にも影響する可能性があります。

一方で、病気になる前の家計が毎月ぎりぎりだったらどうでしょうか。

住宅ローン。

家賃。

食費。

光熱費。

車の維持費。

教育費。

保険料。

そこへ医療費や通院費が加わります。

収入が月5万円減っただけでも、それまで成立していた家計が突然成立しなくなることがあります。

だから私は、「仕事に戻れたかどうか」だけでなく、

その働き方と収入で、その後も生活を続けられるのか。

そこまで見なければ、本当の意味での治療と仕事の両立とは言えないと思っています。

傷病手当金があれば安心なのでしょうか

会社員など一定の条件を満たす人は、病気やけがで働けなくなったとき、傷病手当金を受け取れる場合があります。

支給額は、原則として支給開始日前12か月間の標準報酬月額を平均した額を30日で割り、その3分の2に相当する金額が1日当たりの目安となります。

支給期間は、支給開始日から通算して1年6か月です。

これは、治療によって働けなくなった人の生活を支える非常に重要な制度です。

しかし、病気になる前と同じ給料がそのまま保障されるわけではありません。

そして、1年6か月を超えても病気の影響が続くことはあります。

高額療養費制度もあります。

医療費の自己負担が高額になった場合、年齢や所得に応じた上限を超えた部分の負担を軽減する重要な制度です。

しかし、これも生活費を保障する制度ではありません。

住宅ローン。

家賃。

食費。

教育費。

車のローン。

これらは別です。

つまり、

治療費を払えることと、生活を続けられることは別の問題です。

ここを混同してはいけません。

「保険に入っているから大丈夫」も、一度確認した方がいい

医療保険に入っている。

がん保険にも入っている。

だから大丈夫。

そう考える人もいるでしょう。

もちろん、民間保険が大きな助けになることはあります。

しかし、例えば入院日数に応じて給付金が支払われる保険でも、治療が通院中心になれば、想定していた保障を受けられない場合があります。

一時金を受け取っても、治療が長期化すれば、その後も生活は続きます。

そして病気による本当の経済的損失が、

医療費ではなく、長期間にわたる収入減だった

ということもあり得ます。

私は、保険に入ること自体が目的ではないと思っています。

何が起きたら、いくら収入が減るのか。

会社からどんな保障を受けられるのか。

公的制度でどこまで補えるのか。

貯蓄で何か月持ちこたえられるのか。

それでも足りない部分はいくらなのか。

そこまで考えたうえで、必要なら民間保険を使う。

この順番が大切です。

能力的には働けても、一歩を踏み出せない人もいる

ここからは、お金だけでは見えない話です。

私が運営する就労継続支援B型事業所にも、片麻痺のある方が何人かいます。

その中には、

「以前と同じようには働けない」

と思うことで、次の一歩をなかなか踏み出せない方もいます。

身体的な能力だけを見れば、できる仕事があるかもしれません。

しかし本人にとっては、病気になる前の自分を知っています。

以前は普通にできた。

以前はもっと働けた。

以前は人に助けてもらわなくてもよかった。

その過去の自分と現在の自分を比べることによる精神的なダメージは、外から簡単に測れるものではありません。

一方で、働きたいという意欲が非常に強い人もいます。

しかし、意欲があるからといって、すぐに以前と同じ仕事ができるとは限りません。

どのくらいの時間なら働けるのか。

どんな作業ならできるのか。

疲労はどの程度なのか。

通勤は可能なのか。

一日の後半になると能力は変化しないか。

どんな環境なら力を発揮できるのか。

実際に評価してみなければ分からないことがあります。

だから私は、復職を、

「働けますか、働けませんか」

という二択だけで考えるべきではないと思っています。

何ができるのか。

どこに難しさがあるのか。

何時間なら続けられるのか。

どんな配慮があれば力を発揮できるのか。

作業療法士として見るなら、そこを具体的に評価していくことが重要です。

元の職場に戻ることが、必ずしも最善とは限らない

職場復帰という言葉を聞くと、多くの人は「元の会社に戻ること」を想像するかもしれません。

もちろん、それが本人にとって良い選択になることもあります。

しかし、元の職場に戻れることが、必ずしも本人にとって最善とは限りません。

同じ会社に戻っても、仕事内容が変わることがあります。

以前担当していた仕事を、別の人が担当しているかもしれません。

以前は任されていた仕事を、今は任せてもらえないこともあるでしょう。

そして周囲は善意から、

「無理しないでください」

「これはやらなくて大丈夫ですよ」

「疲れていませんか?」

と声を掛けます。

もちろん、悪意ではありません。

むしろ気遣いです。

しかし、その気遣いが本人にとって重く感じられることもあります。

以前は普通にできていた自分が、今は周囲から心配されている。

その現実を、職場へ行くたびに突きつけられているように感じる人もいるかもしれません。

職場には戻れた。

しかし、以前と同じ自分ではない。

以前と同じ会社だからこそ、その違いがより鮮明になることもあります。

だから、

元の職場に戻る。

同じ会社で違う仕事をする。

別の職場を探す。

勤務時間を減らす。

一度立ち止まって、自分にできることを確かめる。

どれも選択肢です。

病気になる前の自分を無理に再現することだけが、職場復帰ではない。

今の自分で、どのような働き方なら続けられるのか。

私は、その視点がとても大切だと思っています。

2026年、企業にも「治療と仕事の両立」が求められるようになった

2026年4月から、事業主には治療と就業の両立を促進するために必要な措置を講じる努力義務が課されています。

これは大きな変化です。

しかし、制度ができれば両立できるとは限りません。

例えば従業員が、

「毎週水曜日は通院なので休みたい」

「疲労が強いので残業はできない」

「以前の業務は難しいので配置を変えてほしい」

と希望したとします。

大企業なら対応できる場合もあるでしょう。

しかし、従業員が数人しかいない小さな会社ではどうでしょうか。

一人が抜ければ、ほかの職員の負担が増える。

代わりの人材を雇う余裕もない。

専門職なら簡単に代替できない。

「企業は理解しましょう」

と言うだけなら簡単です。

しかし、会社にも現実があります。

だから治療と仕事の両立は、本人の努力だけでも、会社の善意だけでも成立しません。

本人が何をできるのか。

会社がどこまで対応できるのか。

その結果として収入と生活がどう変わるのか。

この三つを同時に考える必要があります。

仕事を続けることが、いつも正解なのでしょうか

治療しながら働く。

病気になっても仕事を続ける。

それが美しい話として語られることがあります。

しかし、本当は休みたいのに、住宅ローンがあるから働く。

子どもの教育費があるから辞められない。

収入が途絶えるのが怖くて、体調が悪くても無理をする。

それを「治療と仕事の両立に成功した」と呼んでいいのでしょうか。

反対に、医療者や家族が心配するあまり、

「もう仕事は辞めた方がいい」

と早く結論を出してしまうこともあるかもしれません。

本人にとって仕事は、収入だけではありません。

社会とのつながり。

役割。

自信。

生活のリズム。

生きがい。

様々な意味があります。

だから、働くべきとも、休むべきとも、一律には言えません。

重要なのは、

本人が治療と身体の状態、仕事、そしてお金について必要な情報を持ったうえで選べることです。

病気になってから初めて家計を見るのでは遅いこともあります

元気なときには、自分が病気になった後のことを具体的に考える人は多くありません。

でも、一度確認しておく価値はあります。

自分が1か月働けなくなったら、収入はいくらになるのか。

3か月ならどうか。

半年ならどうか。

会社の休職制度はどうなっているのか。

傷病手当金の対象になるのか。

貯蓄だけで何か月生活できるのか。

住宅ローンに保障はあるのか。

加入している保険は、入院だけでなく通院や就業不能にも対応するのか。

配偶者の収入だけになったら、家計はどうなるのか。

こうしたことを元気なうちに確認している家庭と、病気になってから初めて調べる家庭では、選べる道が変わる可能性があります。

お金があれば病気が治るわけではありません。

しかし、お金の見通しが立たないために、本来なら休むべき人が無理して働かなければならないことはあります。

逆に、制度を知らないために、本当は仕事を辞めなくてもよかった人が退職してしまうこともあるでしょう。

だからこそ私は、治療と仕事の両立を考えるとき、医療と職場だけでなく、家計という第三の視点が必要だと思っています。

まとめ|復職は「元の自分に戻ること」だけではない

病気になっても働き続けられる社会。

それは確かに大切です。

しかし、

「働き続けられたから成功」

という単純な話ではありません。

治療を続けられること。

無理なく働けること。

生活を維持できる収入があること。

必要なら休めること。

何ができるのかを適切に評価できること。

そして、自分でこれからの働き方を選べること。

そこまでそろって初めて、本当の意味での「治療と仕事の両立」に近づくのではないでしょうか。

「働ける」と「以前と同じように稼げる」は違います。

そして、

「能力的に働ける」と「もう一度働く一歩を踏み出せる」も違います。

さらに、

「元の職場に戻れる」と「そこに戻ることが本人にとって最善である」も違います。

病気を治すことだけがゴールではありません。

病気になる前の自分を無理に再現することだけが復職でもありません。

その人が、今の身体と心で、どのように働き、どのように収入を得て、どのように生活を続けていくのか。

病気を経験した後の人生を、もう一度組み直していく。

治療と仕事の両立とは、本来そこまで考えるものではないでしょうか。


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福祉特化FP 小倉尚之は、作業療法士、ファイナンシャル・プランナー、宅地建物取引士としての専門性と、医療現場での勤務経験、就労継続支援B型事業所の運営経験をもとに、医療・福祉・障害・就労・住まい・お金を横断した講演・研修を行っています。

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