免許返納のその後に待っている「車のない暮らし」
高齢になった親の運転が心配になってきた。
「そろそろ車をやめた方がいいんじゃない?」
家族として、そう考えることはあると思います。
ニュースでは高齢ドライバーによる事故が取り上げられ、運転免許の自主返納も珍しいものではなくなりました。2025年には全国で約43万5千件の運転免許の自主返納があり、そのうち約26万1千件が75歳以上でした。警察庁
ただ、私はこの話を聞くたびに少し気になることがあります。
車をやめた後、その人はどうやって暮らすのでしょうか。
免許を返したところで、スーパーが近くに移動してくるわけではありません。
病院が家の隣に来るわけでもありません。
足腰が急に丈夫になるわけでも、スマートフォンが使えるようになるわけでもない。
「運転をやめる」という一つの決断によって、それまで何十年も続けてきた生活そのものが変わることがあります。
今回はFPとして、そして作業療法士として、高齢になって車を使わなくなった後の生活について考えてみたいと思います。
車は「移動手段」だけではない
地方で暮らしていると、車は単にA地点からB地点へ移動するための道具ではありません。
スーパーへ行く。
病院へ行く。
銀行へ行く。
薬局へ行く。
ホームセンターへ行く。
髪を切りに行く。
友人の家へ行く。
少し離れた店まで昼ご飯を食べに行く。
天気がいいから、ちょっと出かける。
こうした生活の一つ一つをつないでいるのが車です。
若い頃には「車で10分」という距離を、ほとんど距離として意識していなかった人もいるでしょう。
ところが車を使わなくなった瞬間、その10分が突然遠くなります。
徒歩では行けない。
バスなら乗り換えが必要。
タクシーならお金がかかる。
家族に頼むなら相手の都合を確認しなければならない。
昨日まで自分で決められたことに、誰かの都合や交通機関の時刻が入り始める。
車を手放すことで失うものは、移動能力だけではありません。
「自分の好きな時間に、自分の意思で出かける」という自由も小さくなることがあります。
「バスがあるから大丈夫」とは限らない
では、車をやめたら公共交通を使えばいいのでしょうか。
現実はそれほど単純ではありません。
国土交通省は2026年、人口減少や運転手不足によってバス路線などの減便・廃止が相次いでいる一方、高齢者の免許返納などによって公共交通への需要は高まっているとしています。全国には約2,500の「交通空白」が生じているともしています。国土交通省
北海道では、この問題はさらに身近です。
北海道運輸局によれば、道内主要路線バス事業者の運転者は2015年度末の約3,800人から2024年度末には約2,900人へ減少しています。実車走行距離も同じ期間に大きく減っています。国土交通省サイト
つまり、
「高齢になったら車をやめて公共交通へ」
という社会の方向と、
「地方の公共交通を維持することが難しくなっている」
という現実が同時に進んでいます。
ここにはかなり大きな矛盾があります。
バス停まで500メートル。本当に「近い」でしょうか
地図を見れば、
「家からバス停まで500メートルしかない」
となるかもしれません。
でも、作業療法士として生活を見ると、距離だけでは判断できません。
家を出て、靴を履く。
玄関の段差を降りる。
バス停まで歩く。
道路を横断する。
バスが来るまで立って待つ。
ステップを上がる。
揺れる車内で姿勢を保つ。
目的地で降りる。
そこからスーパーまで歩く。
店内を歩いて商品を選ぶ。
荷物を持つ。
またバス停まで戻る。
そして自宅まで帰る。
北海道なら冬には、ここへ雪と凍結路面が加わります。
「500メートル歩ける」という身体機能評価と、
「500メートル先のバス停を使って、一人で買い物を完結できる」
という生活能力は同じではありません。
だから車をやめられるかどうかを考えるときには、
車以外の交通機関が存在するか
だけではなく、
本人がその交通機関を実際に使えるか
まで考える必要があります。
買い物にも影響が出る
車を使わなくなったとき、比較的早く問題になりやすいのが買い物です。
農林水産省では、店舗まで500メートル以上あり、自動車の利用が困難な65歳以上の高齢者を「食料品アクセス困難人口」として推計しています。
そして2025年度の全国市町村調査では、回答した市町村の**89.3%が食品アクセスへの対策を「必要」または「ある程度必要」**と回答しています。これは過疎地域だけの話ではなく、都市部でも問題になっています。農林水産省
もちろん、今は昔にはなかったサービスがあります。
ネットスーパー。
宅配。
移動販売。
生協などの個配。
ネット通販。
便利な時代になりました。
ところが、ここでも別の問題が出てきます。
「ネットで買えばいい」ができない人もいる
私たちの生活は、かなりの速度でデジタル化しています。
商品をネットで注文する。
アプリでタクシーを呼ぶ。
病院をネット予約する。
QRコードを読み込む。
キャッシュレスで支払う。
メールで本人確認をする。
パスワードを入力する。
行政手続きをオンラインで行う。
若い世代には便利になったサービスでも、高齢者全員にとって便利になったとは限りません。
スマートフォンを持っていても、
「電話しか使わない」
という人はいます。
アプリを入れられない。
IDとパスワードが分からない。
SMS認証で止まる。
クレジットカード番号を入力するのが怖い。
一度画面が変わると分からなくなる。
こうした人に、
「買い物はネットスーパーを使えばいい」
と言っても、解決にはなりません。
統計局も年齢階級別のインターネット利用状況を継続的に調査しており、年齢による利用状況の差を公表しています。現在の日本ではネットショッピングや電子マネーの利用そのものが拡大しており、2025年にはネットショッピング利用世帯、電子マネー保有世帯とも過去最高となりました。総務省統計局
社会が便利になるほど、デジタル機器を使える人には選択肢が増えます。
反対に、使えない人にとっては、
「以前なら人に頼まなくてもできたこと」が、自分一人ではできないことへ変わっていく可能性があります。
車を使えないことと、デジタルサービスを使えないこと。
この二つが重なったとき、高齢者の生活範囲は一気に狭くなることがあります。
本当に失われやすいのは「用事のない外出」かもしれない
病院へ行かなければならない。
食べ物を買わなければならない。
こうした必要な外出については、家族や介護サービス、タクシーなどを使って何とかしようと考えます。
でも、
「天気がいいから出かけよう」
「ホームセンターでも見てこよう」
「友人の顔でも見に行こう」
「少し遠いスーパーに好きな魚があるから行こう」
という外出はどうでしょう。
生活に絶対必要ではありません。
だからこそ、車を使わなくなったときに最初に削られやすい。
ところが、人の生活は「必要なこと」だけでできているわけではありません。
用事のない外出。
人との交流。
趣味。
寄り道。
自分で選んで出かけること。
こうしたものも、その人の生活です。
車をやめた後も病院とスーパーには行ける。だから生活できる。
それだけでは、その人が以前と同じように暮らせているとは限りません。
ここでFPとして考えておきたいこと
車を手放す話になると、
「ガソリン代がなくなる」
「車検代がなくなる」
「保険料が浮く」
という話が出ます。
もちろん家計上はそれもあります。
ただ、高齢になれば若い頃のように毎日長距離を走る人ばかりではありません。
私は、そこだけを計算して、
「車を手放せば年間○万円お得です」
と考えることにはあまり意味がないと思っています。
大切なのは、車が担っていた生活を、これから何で置き換えるかです。
たとえば、
タクシーを月に何回使うのか。
宅配を利用するのか。
ネットスーパーを使えるのか。
通院には家族が付き添うのか。
家族が送迎するため仕事を休むことはないか。
公共交通で生活できる場所へ住み替えるのか。
場合によっては介護サービスを利用するのか。
ここまで考えて初めて、「車をやめた後の家計」が見えてきます。
FPとして考えるべきなのは、車の維持費とタクシー代の単純比較ではありません。
これからの生活全体に、どんなお金が必要になるのか。
その設計です。
月3万円のタクシー代は「高い」のか
たとえば、車を手放した親が、
「タクシーなんて高くて使えない」
と言ったとします。
月に3万円使えば、年間36万円です。
確かに大きなお金です。
でも、それだけで「高い」と判断するのも早い。
車を所有していれば、保険、税金、車検、整備、タイヤ、修理、そしていつかは買い替えもあります。
逆に、ほとんど乗らない軽自動車を安く維持できている人なら、タクシーへ切り替えた方が必ず安くなるとも限りません。
さらに重要なのは金額以外です。
月3万円のタクシー利用によって、
自分で買い物へ行ける。
友人に会える。
通院できる。
外食できる。
家族へ毎回送迎を頼まなくて済む。
のであれば、その3万円は単なる「交通費」ではありません。
生活の自由を維持するためのお金でもあります。
FP相談では、こうした支出を単純に削るのではなく、
「その支出によって何を維持しているのか」
まで見る必要があります。
家族の送迎は「無料」ではない
もう一つ見落とされやすいものがあります。
家族です。
車をやめた親に、
「必要なときは俺が乗せていくから」
と言う。
最初はそれで済むかもしれません。
でも、
毎週の買い物。
定期的な通院。
銀行。
役所。
美容室。
冠婚葬祭。
突然必要になった買い物。
これが何年も続いたらどうでしょう。
家族は仕事を休むかもしれません。
休日の予定を変えるかもしれません。
遠方に住んでいれば交通費もかかります。
つまり、親の交通費として家計簿には現れなくても、家族側に時間とお金の負担が移っているだけという場合があります。
これも、家族全体のライフプランを考えるFPとしては無視できません。
車をやめる前に、一度「車なしの日」を作ってみる
私は、運転に不安を感じ始めた段階で、いきなり免許を返納するかどうかだけを話し合う必要はないと思います。
まず、
「もし今日から車を使えなくなったら、この一週間をどう暮らすか」
を家族で考えてみる。
スーパーは?
病院は?
薬局は?
銀行は?
友人との付き合いは?
冬になったら?
ネットスーパーは使える?
タクシーは呼べる?
バス停まで行ける?
スマートフォンで必要なサービスを使える?
そして実際に一日、車を使わず生活してみる。
そうすると、
「意外とバスでいける」
ということもあるでしょう。
反対に、
「スーパーに行くだけで半日かかった」
「帰りの荷物を持てなかった」
「タクシーの電話がつながらなかった」
「ネットスーパーの登録ができなかった」
ということもあるでしょう。
免許を返す前に、車のない生活を試してみる。
これはかなり意味のある準備だと思います。
車をやめることが、「この家に住み続けるか」を考えるきっかけになることもある
ここまで考えていくと、車の問題は最後には住まいの問題にもつながります。
家そのものには問題がない。
階段も上れる。
トイレにも行ける。
お風呂にも入れる。
だから、
「まだこの家に住める」
と思う。
ところが車を使わなくなった途端、
スーパーへ行けない。
病院へ行けない。
人に会えない。
公共交通も使いにくい。
宅配サービスも十分ではない。
そうなれば、
家には住めても、その地域では生活しにくい
ということが起こります。
これは住宅のバリアフリーだけを見ていても分かりません。
住まいを考えるときには、
家の中だけではなく、その家からどんな生活ができるのか
まで見る必要があります。
だからといって、すぐに引っ越すべきだという話でもありません。
今の家に住み続ける。
家族の支援を受ける。
公共交通を利用する。
タクシーを使う。
宅配を使う。
デジタル機器の使い方を覚える。
地域のサービスを探す。
そして、それでも生活が難しくなったときには、住み替えも考える。
選択肢はいくつもあります。
「免許を返すか」だけで終わらせない
高齢者の運転について考えるとき、安全はもちろん重要です。
警察庁も、加齢による身体機能の低下などから運転に不安を感じる人が自主的に免許を返納できる制度を設けています。返納後には運転経歴証明書を本人確認書類として利用することもできます。警察庁
ただ、家族が、
「危ないから、もう運転するな」
と言って鍵を取り上げれば、それですべて解決するわけではありません。
その翌朝から、その人の生活は続きます。
買い物へ行く。
病院へ行く。
人に会う。
好きなことをする。
そして、自分で生活を選ぶ。
だから考えたいのは、
「いつ免許を返すか」だけではなく、「車を降りたあと、どう暮らすか」。
車を運転しなくなることは、高齢期の生活が変わる大きな節目の一つです。
そのときには、運転能力だけではなく、
身体機能。
住んでいる地域。
公共交通。
デジタル機器を使えるか。
家族との距離。
利用できるサービス。
そして家計。
これらを一緒に見た方がいい。
車を手放す準備とは、免許証を返す準備ではなく、車がなくてもその人らしい生活を続ける準備なのだと思います。
住まい・生活・お金について考えている方へ
高齢、障害、介護などをきっかけに、「今の家でこの先も暮らせるだろうか」と考えることがあります。
福祉特化FPでは、家計だけではなく、住まい、生活環境、身体状況、利用できる制度などを含めて、これからの暮らしを一緒に整理しています。
「まだ引っ越すと決めたわけではない」
「今の家に住み続ける方法も考えたい」
という段階でも構いません。
住み替え・暮らしに関する相談や、福祉・住まい・お金をテーマとした講演・研修のご相談も受け付けています。
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参考資料
警察庁「運転免許証の自主返納について」警察庁
国土交通省「交通空白等の解消による持続可能な地域公共交通」国土交通省
北海道運輸局「路線バス等の維持を目指した多様な分野からの運転者確保について」国土交通省サイト
農林水産省「食品アクセス(買物困難者等)問題の現状について」農林水産省
総務省統計局「日本統計年鑑 情報通信」「家計消費状況調査」

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