人は、いつまで同じ家に住み続けるのでしょうか。
家を買ったときには、そこを離れる日のことまで考えていない人の方が多いと思います。
子どもが生まれた。
学校へ通った。
近所に知り合いができた。
いつものスーパーができた。
かかりつけの病院ができた。
気がつけば、その家だけではなく、その街そのものが「自分の生活」になっています。
ところが、人生の途中で、その場所を離れなければならないことがあります。
それは必ずしも、「新しい街で暮らしてみたい」という前向きな住み替えばかりではありません。
年を取った。
病気になった。
障害が残った。
配偶者が亡くなった。
親の介護が必要になった。
一人では家を維持できなくなった。
家族の近くで暮らす必要が出てきた。
あるいは、自宅で暮らすこと自体が難しくなり、施設への入所を考えることもあります。
住み慣れた街を離れる。
このことを、私は「次にどこへ住むか」という話だけで考えてはいけないと思っています。
その前に、離れる側には、それまでの暮らしがあります。
家を離れることと、街を離れることは違う
住み替えを考えるとき、この二つは分けた方がいいと思います。
例えば、二階建ての一戸建てで暮らすのが難しくなったとします。
だからといって、その街まで離れなければならないとは限りません。
近くのマンションへ移る。
同じ町内の小さな賃貸住宅へ移る。
サービスを利用しながら今の地域で暮らす。
近くの高齢者住宅や施設へ移る。
こうした選択肢もあります。
一方で、子どもの住む街へ行く人もいるでしょう。
故郷へ戻る人もいる。
仕事や家族の事情で、まったく別の土地へ移る人もいます。
つまり住まいを考えるときには、
「この家に住み続けられるか」
と、
「この街で暮らし続けたいか」
は別々に考えていい。
ところが実際には、家に住めなくなったことをきっかけに、その二つを一度に決めなければならないことがあります。
「この家ではもう無理ですね」は簡単に言える
私は作業療法士として病院で働いていた頃、退院後の生活を考える場面に何度も関わってきました。
身体の状態が変われば、それまで普通に暮らしていた家が、突然暮らしにくい場所になることがあります。
玄関の段差を上がれない。
二階へ行けない。
浴槽をまたげない。
トイレが狭い。
車を運転できなくなった。
住宅改修や福祉用具で解決できることもあります。
家族や介護サービスによって、自宅での生活を続けられることもあります。
それでも難しいことはあります。
そんなとき、支援する側から見れば、
「この家で暮らし続けるのは難しい」
という判断になる。
理屈としては正しいのかもしれません。
でも、その一言で終わるほど簡単な話ではありません。
その人にとっては、何十年も暮らした家かもしれないからです。
家には「不動産」では説明できないものがある
不動産として見れば、家には価格があります。
土地がいくら。
建物がいくら。
築何年。
何LDK。
駅まで何分。
売却するといくら。
でも、そこに住んできた人が見ているものは、それだけではありません。
子どもを育てた部屋。
毎朝座っていた場所。
夫婦で選んだ家具。
亡くなった家族が使っていたもの。
庭に植えた木。
いつも通った道。
近所の人。
顔を覚えてもらっている店。
何十年も通っている病院。
そういうものには、査定価格はつきません。
それでも、その人がそこで暮らしてきた時間を考えれば、むしろこちらの方が大きいことがあります。
だから、
「古い家を売って、便利なマンションへ移ればいい」
と周囲が考えても、本人が簡単に決断できないのは当然だと思います。
施設に入るということも「住み替え」である
高齢になれば、施設への入所を考えることもあります。
そのとき私たちは、
「どの施設がいいか」
「月額はいくらか」
「空きはあるか」
「介護体制はどうか」
と考えます。
もちろん全部大切です。
でも、本人から見れば、その前に、
自分の家を離れる
という出来事があります。
場合によっては、もう二度とその家で暮らすことはありません。
さらに遠方の施設へ入れば、家だけではなく、長く暮らしてきた街からも離れることになります。
施設の設備や料金だけを比較していては、この部分が抜け落ちます。
施設を選ぶことと、これまでの生活を手放すことは、同じ話ではありません。
「家族の近くに行けば安心」とも限らない
高齢になった親について、
「一人暮らしは心配だから、うちの近くへ呼ぼう」
と考える家族もいると思います。
それは自然なことです。
家族が近くにいれば、何かあったときに動きやすい。
通院にも付き添える。
顔も見に行ける。
一方で、親にとってはどうでしょう。
長年付き合ってきた人と離れる。
行きつけの店がなくなる。
土地勘がなくなる。
病院も変わる。
知っている人がほとんどいない場所で、生活を一から作ることになります。
家族との距離は近くなっても、それまでの生活との距離は遠くなることがあります。
だから「家族の近く」という条件だけで住む場所を決めるのも、少し違うと思うのです。
住み慣れた場所であること自体が、生活を支えている
これは、お金ではなかなか表しにくいものです。
長く暮らした街なら、
どの道を通ればスーパーへ行けるか知っている。
バスの時間をだいたい覚えている。
冬に滑りやすい道を知っている。
困ったら誰に聞けばいいか分かる。
病院までの行き方を考えなくてもいい。
いつもの店なら、商品の場所まで覚えている。
こうしたことは、若く元気なうちは大した問題ではないかもしれません。
でも身体が弱くなったり、認知機能が低下したりすると、その「知っている」ということ自体が生活を助けます。
反対に、新しい街では一つ一つ覚え直さなければなりません。
新しい家が便利だからといって、生活全体まで便利になるとは限らないのです。
それでも、離れた方がいいこともある
だからといって、何が何でも住み慣れた家に残ることが正しいとは思いません。
階段ばかりの家。
冬の除雪が必要な家。
一人では管理できなくなった広い家。
近くに店がなく、車がなければ暮らせない地域。
介護する家族が遠く離れている。
住宅費が生活を圧迫している。
今の生活と住環境が合わなくなっていることはあります。
その場合、住む場所を変えることで生活が楽になる可能性もあります。
大切なのは、
「住み続けることが正しい」でも、「住み替えることが正しい」でもない。
ということだと思います。
先に決めなくてもいい
住み替えの相談というと、
「どこへ引っ越したいですか?」
から始まりそうです。
でも私は、その質問は少し後でもいいと思っています。
まず考えたいのは、
なぜ今の家を離れようとしているのか。
家そのものに問題があるのか。
お金なのか。
身体なのか。
介護なのか。
家族との距離なのか。
地域そのものが暮らしにくくなったのか。
それが分かれば、
今の家を直して住み続ける。
近所へ住み替える。
同じ市内で移る。
施設へ入る。
家族の近くへ行く。
故郷へ戻る。
別の土地で暮らし直す。
いろいろな選択肢が出てきます。
どの街へ行くかを決めるのは、それからでいい。
住まいを変える前に、「残したいもの」を考える
もし住み替えを考えることになったら、
「何を捨てるか」
だけではなく、
「何を残したいか」
を一度考えてみてほしいと思います。
今の地域の人間関係なのか。
通っている病院なのか。
家族との距離なのか。
仕事なのか。
趣味なのか。
馴染みの店なのか。
自分の家なのか。
あるいは、その土地そのものなのか。
全部を残したまま住み替えることは難しいかもしれません。
でも、自分にとって何が大切なのかが分かれば、次の住まいを選ぶ基準は変わります。
「住み慣れた街を離れる」ということ。
家を離れる。
施設へ入る。
家族の近くへ移る。
同じ街の小さな家へ移る。
故郷へ戻る。
知らない土地で暮らし始める。
どれも「住む場所を変える」という意味では同じです。
でも、その人にとっての意味はまったく違います。
住まいは、単なる箱ではありません。
そこで食事をして、眠って、家族と暮らし、仕事へ出かけ、年を重ねてきた場所です。
そして街もまた、単なる住所ではありません。
だから私は、住み替えを考えるとき、
「次はどこに住むか」だけではなく、「これまでどんな場所で、どんな暮らしをしてきたのか」から考えたい。
そう思っています。
そのうえで、
住み続けるのか。
家だけを替えるのか。
施設へ移るのか。
家族の近くへ行くのか。
土地そのものを離れるのか。
それを決めればいい。
住み慣れた街を離れるかどうかは、最初に決めることではありません。
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