お盆が近づくと、毎年のように似た記事を見かけます。
「義実家への帰省が憂うつ」
「せっかくの休みなのに気を遣って疲れる」
「夫は何もしないのに、なぜ自分だけ手伝わなければならないのか」
今年もそんな記事を読みました。
コメント欄には、
「嫌なら帰らなければいい」
「無理をして付き合う時代ではない」
「自分たちの休みなのだから、好きに過ごせばいい」
そんな意見が多く並んでいました。
私は、それを間違っているとは思いません。
家族だから我慢する。
嫁だから義実家へ行く。
盆と正月だから親族が集まる。
そうした「家族だから当然」という価値観が薄れてきたのは確かです。
むしろ、無理をして関係を続ける必要はないという考え方が広がるのも、時代の変化なのでしょう。
ただ、コメント欄の中に少し気になる意見がありました。
「自分が子どもを迎える側になったとき、同じことを言われたらどう思うのだろう」
という趣旨のものでした。
これにも、正解はないと思います。
子どもが帰ってこなくても構わないという親もいるでしょう。
年に一度くらい顔を見たいと思う親もいるでしょう。
私が気になったのは、そこからもう少し先です。
親が元気ではなくなったとき、この家族関係はどうなるのだろう。
福祉の現場にいる私は、どうしてもそこまで考えてしまいます。
親が元気な間は、家族の距離は問題になりにくい
70代になっても元気な方はたくさんいます。
車を運転し、自分で買い物へ行き、病院へ通い、旅行にも行く。
子どもが東京や大阪に住んでいても、特に困ることはありません。
電話やLINEで連絡を取っていれば十分だという家庭もあるでしょう。
お盆だからといって、何時間もかけて実家へ帰る必要もない。
それで生活は成立します。
ところが、80代、90代になってくると状況が変わります。
車の運転をやめる。
買い物へ行けなくなる。
病院へ一人で行くことが難しくなる。
薬の管理が怪しくなる。
家の中で転倒する。
認知症が始まる。
入院する。
施設を探さなければならなくなる。
そして突然、病院やケアマネジャーから家族へ電話が入ります。
「一度、ご家族とお話をしたいのですが」
ここから、今までほとんど意識していなかった**「家族の役割」**が表に出てきます。
私たちは、想像以上に「家族の無償労働」に頼っている
介護には介護保険があります。
訪問介護もあります。
デイサービスもあります。
施設もあります。
だから、家族が近くにいなくても何とかなる。
そう思うかもしれません。
しかし、現場はそれほど単純ではありません。
誰が病院へ付き添うのでしょう。
誰が医師の説明を聞くのでしょう。
冷蔵庫の中がおかしくなっていないか、誰が確認するのでしょう。
公共料金の支払いが滞っていないか。
介護サービスの契約書を理解できているか。
施設を何軒も探すのは誰か。
入院するときに必要な物を持ってくるのは誰か。
自宅を売るのか残すのか。
通帳や印鑑はどこにあるのか。
そして亡くなった後、家を片付け、役所へ行き、契約を解約し、相続の手続きをするのは誰なのか。
一つひとつは小さなことに見えます。
ところが、これを全部並べると膨大です。
そして日本の高齢者の生活は、こうした部分を長い間、
「家族がやるもの」
として成立させてきました。
しかも、その多くには値段が付いていません。
家族関係が変われば、「老後に必要なお金」も変わる
ここはFPとして、とても重要だと思っています。
老後資金というと、
年金はいくらもらえるか。
貯金はいくら必要か。
毎月の生活費はいくらか。
介護費用はいくら見ておくか。
そうした数字を計算します。
もちろん必要です。
でも、それだけでは足りません。
例えば、同じ80歳の一人暮らしでも、
近所に娘が住んでいて、週に何度も様子を見に来てくれる人。
子どもは遠方に住み、年に一度会うかどうかという人。
この二人に必要な老後資金が、本当に同じでしょうか。
私は違うと思います。
これまで家族が無料でやってくれていたことを誰かに頼むなら、そこには費用が発生します。
家事。
買い物。
通院。
移動。
見守り。
財産管理。
各種手続き。
住み替え。
場合によっては、身元保証や死後の手続きまで必要になります。
つまり、
家族との関係性は、老後の家計にも影響する。
これは、老後資金を考えるうえで無視できない問題です。
「帰省しない」と「親を大切にしていない」は同じではない
ここは誤解したくありません。
お盆に帰らないから、親子関係が悪いとは限りません。
毎年帰省しているから、将来介護してくれるとも限りません。
まして、義理の親の介護を配偶者に求めることを当然だとも思いません。
家族の形は変わっています。
結婚しない人も増えました。
子どもを持たない家庭もあります。
子どもがいても、仕事のため遠く離れて暮らすことがあります。
親子だからといって、必ず良好な関係が続くわけでもありません。
だから、「昔の家族に戻りましょう」という話ではありません。
むしろ逆です。
昔の家族には戻らないことを前提に、これからの老後を考えなければならない。
私はそう思っています。
子どもに頼らない老後なら、準備も変わる
「子どもには迷惑をかけたくない」
高齢の方から、本当によく聞く言葉です。
それなら、その言葉をもう一歩具体的にしておく必要があります。
もし入院したら、誰に連絡してほしいのか。
認知症になったら、お金の管理をどうするのか。
車に乗れなくなったら、どう生活するのか。
この家に住み続けるのか。
施設へ入るなら、どの程度のお金を使えるのか。
自宅や家財を最後にどうするのか。
亡くなった後の手続きを誰に頼むのか。
そして、そのためにいくら準備しておくのか。
ここまで考えて初めて、
「子どもに頼らない老後」
になるのだと思います。
先日、まったく逆の家族を見ました
以前の記事で、88歳のパーキンソン病のお母さんと、50代の息子さんについて書きました。
お母さんは自力で身体を動かすことがほとんどできず、発話も難しい状態です。
それでも息子さんは、自分自身が脳梗塞で入院していた期間を除いて、ほぼ毎日病院へ来ています。
医師の話を聞く。
マッサージをする。
時には外泊にも連れて帰る。
非常に濃い家族関係です。
今回のお盆の記事を読みながら、私はこの親子のことも思い出していました。
どちらが正しいという話ではありません。
この息子さんのように親を支えることを、すべての子どもに求めることもできません。
むしろ、それを当然にしてしまえば、今度は子どもの人生を圧迫します。
だから難しいのです。
家族に頼り過ぎれば、家族が疲弊する。
家族に頼らなければ、これまで家族が担っていた役割を別の誰かが担わなければならない。
家族の形が変わるということは、単に「付き合い方が自由になる」ということだけではありません。
社会の中で家族が担ってきた役割そのものが変わるということです。
「家族だから何とかなる」を、老後設計から外す
お盆に義実家へ帰るかどうか。
私は、それぞれの家庭が決めればいいと思います。
ストレスを抱えてまで帰る必要はない、という考え方も理解できます。
ただし、その価値観を選ぶのであれば、老後についても同じように考えておく必要があります。
親子だから。
家族だから。
何かあったら来てくれるだろう。
最後は子どもが何とかしてくれるだろう。
これからは、そうした前提だけで老後を設計することの方が危ういのかもしれません。
家族の形が変わるなら、老後の準備も変わる。
子どもに頼らない生き方を選ぶなら、
子どもに頼らなくても暮らせる仕組みと、お金を準備しておく。
そして反対に、親を支えたいと思う子どもが、自分の仕事や健康や人生を壊さなくても済む方法を準備しておく。
福祉特化FPとして考えたいのは、その両方です。
「帰省するべきか、しなくてもいいのか。」
その答えを出すことではありません。
その先にある、
「家族が今まで担ってきたものを、これから誰が担うのか」
を考えることです。
お盆の帰省をめぐる何気ないニュースは、これからの日本の家族と老後を考える、かなり大きな問いを含んでいるように思います。
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